会長ブログ

2025.05.24

2025年5月22日モーニングセミナー

第686回 経営者モーニングセミナー
講師: ①株式会社 アステム 代表取締役 宮城県倫理法人会 野口敬志会長

②一般社団法人 倫理研究所 内田文朗 名誉研究員
テーマ:成功への道しるべ ―倫理の学び40年を振り返ってー

 

ブログをご覧の皆さま、こんにちは!
本日のモーニングセミナーは、株式会社 アステム 代表取締役であり宮城県倫理法人会 野口敬志会長と一般社団法人倫理研究所 内田文朗名誉研究員よりダブル講話をしていただきました。
参加できなかった会員様、入会を検討している未会員様に講話内容を通し倫理の魅力を少しでも感じていただけたらと思い、講話内容と私の所感を添えた形でお伝えします。

 

また、本日は当会の佐藤景三幹事より会員スピーチがありました。

佐藤景三幹事 会員スピーチ

 

今年の4月から役員の仲間に入れてもらった。山形国際ホテルで副支配人として勤務。3年前まで警察官一筋で活躍された。倫理を学ぶ前から現在の妻とのかかわり方に大きな変化があった。今は妻が言ったことに「ハイ」とにっこり笑ってこたえている。30数年前に結婚し自身は勝手に日本男児として亭主関白をしようと振舞っていた。妻という相手に戦いを挑むようなチャレンジをしていた…が、ことごとくそのチャレンジは負けばかり。勝てない勝負はもうやめた。それからは妻の言葉に「ハイ」というようになり、それまでは居心地が良くないと感じることが多かったが、それ以降は居心地が良い生活ができている。乾杯にを例にグラス同士を強くぶつけると割れてしまうが、片方がスポンジだと割れない。自分はスポンジで良いと決めた。妻の笑顔は私の笑顔として生きています!

 

 

 

野口敬志 宮城県倫理法人会会長 講話

 

神奈川県横浜市生まれ、63歳。奥様(禎子さん)は遊佐町出身。㈱アステムは空調のダクト製造会社。父が㈱日野テック創業、自身は昭和60年入社後平成8年3月に代表取締役社長に就任。同年11月倒産してしまったが、平成9年7月、山形のヤマケンマシナリーより出資を機に㈱アステムとして新規出発。当時の工場スタッフとの意識の乖離からいろんな反発を受ける。平成14年からさくら倫理法人会に入会し倫理の実践を開始。スタッフに自身の行いを謝罪しそれからどんどん会社内の雰囲気が良くなっていった。倫理入会時はスタッフ30名、売上4.5億円→現在スタッフ120名、売上21.7億円となった。

 

富士研究所セミナー参加時、父と心がつながることができていなかったが、恩の遡源で親を想い、当時のヤマケンマシナリー社長より助言をもらい父とのわだかまりが解け心が軽くなった。平成24年4月22日良い夫婦の日にイベントがあり、妻に手紙を書いた。24年の結婚生活への感謝の手紙。それを読み渡してから夫婦関係が良好になった。会社としての縦の繋がり、家庭としての横のつながりが大事だということを倫理から教えてもらっている。

 

 

内田文朗名誉研究員 講話

 

1952年熊本県生まれ。テーマは「成功への道しるべー倫理の学び40年を振り返ってー」
14年前の2011年3月11日、東日本大震災当日に蔵王倫理法人会で倫理経営講演会が開催される予定だった。ホテルのロビーで1晩を過ごし、翌日、庄内空港からの飛行機が奇跡的に1席確保でき東京へ帰ることができた。昨日は14年越しの山形での倫理経営講演会でお話しすることができた。1年8カ月前から名誉研究員となり10年以上ぶりに単会を回らせてもらうようになった。この間100数10か所回って思うことは、1つ1つの単会がいかに大事かということを感じている。
台湾、アメリカ、ブラジルの海外倫理法人会も担当した。
講話内容は氏の体験を交えての心のあり方。今から44年前、建設会社設立をきっかけに倫理法人会に入会。仕事はほぼ好調であったが、4年後に事故が起きた。それは廃材処理のために雇っていた学生アルバイトが雨の降った翌日、山積みになった廃材を焼却するためにガソリンをまき着火。爆発し、大やけどを負った。倫理指導を受けるも事態から逃げることを優先する心が先立つばかりだった。何とか乗り切ることができたもののも「責め心」を払拭することが出来なかった。しかし、月日が経ち倫理の学びを深めるうちに見方が変わった。それは学生アルバイトが犠牲になって「経営者は何が起きてもすべての責任を取る覚悟がなければならない」と教えてくれたのだと思えるようになった。

 

その後、富士研のセミナーに月2回参加するなど倫理実践体験の醍醐味に魅かれ倫理研究所の研究員を志す。しかし、経営者と兼業はできない。会社を閉め家族全員で東京に出てくるのが条件。譲渡先を探すも何故か最後の最後にことごとく崩れてしまう。そして、倫理研究所入所の返答の締切日が来た。一年近くの努力に対するねぎらう言葉をかけてもらえると思っていたが真逆だった。憤慨するような言葉にあと1日だけ待ってくれと嘆願。たった1日しかない中でなんと同業の友人が「会社を俺に預けろ」と現れた。そのおかげで39年前、昭和61年4月に倫理研究所に入所することができた。窮地に追い込まれた時、応援者が現れ、そして道が開けた。捨てきれない心があるとそれがブレーキになって物事は前に進まないと実感した。
目標→願望(こうなればいいな)→決心・肚を決める(なにがなんでもやる)(決断は選択すること)
この中で、願望から決心に至るためには外からの刺激が無いと変わらない=レジリエンス・跳ね返す力
常に肯定的な考えをすることが大切と気づいた。
厳しい言葉で、自身の心を決めてくれた恩人である。

 

最後に成功に必要な4つをお伝えして終わります。
① チャンスをパッと捕まえられるかどうか。普段から気づいたらすぐする、すぐやめる
② 断固として善処する
③ 常に目的(何のために・誰のために)目標が明確である
④ やり続ける 続けているとある時がらりと変わる(水が氷や水蒸気になるように)

 

 

スピーチ、講話を聞いて

 

佐藤景三幹事:
つい先月から仲間になったばかりですが、いつも元気で張りのある挨拶で常ににこやかな表情の景三幹事。警察一筋で相当の武闘派な雰囲気をいつも封印し明るい会場運営に徹してくれてます。誰よりも進んで行動し気さくに声をかけ、まるで古くからの役員だったかのような存在です。私も、その姿から人生の先輩として尊敬する一人となっています。この度のスピーチでは今まで聞けなかったプライベートなことを聞けて、より一層距離が近くなりました。おそらく他の役員のみんなも同じだと思います。ますますのご活躍をご祈念いたします。

 

野口敬志 宮城県倫理法人会会長:
63歳とは思えない若々しさでした。昨日の倫理経営講演会では事業体験報告をいただきました。バブル崩壊によってリストラ等のどん底にいる中、弟が生まれながらの障害者だった最愛の弟を若くして亡くし、その半年後に母親もすい臓がんで亡くした経験をお聞きしました。ヤマケンマシナリーさんからの支援で復活、倫理との出会いでどのように変わったのかを2日にわたってお話しされました。
良いことも悪いことも己に帰ってくる。全てはつながっているんだよ。というフレーズが印象的でした。富士研参加によって得た親への思いで父親との確執がなくなった体験をされ、私も改めて富士研のすごさと、親への念を強く持てました。
「最も大切な、わが命の元は、両親である」を忘れずにしていこうと再認識できました。

 

内田文朗 名誉研究員:
東日本大震災の日に山形で被災。なんと翌日には庄内空港から東京に戻ることができた日から14年たって昨日と今日をようやく迎えられた。何とも嬉しい!とおっしゃっていました。昨日の倫理経営講演会後の懇親会では、私含め4人の役員でテーブルを囲みましたが皆の話を真剣に聞き、隣にいた野口会長も巻き込み、さながら全員での倫理指導のような楽しくも実のある時間を過ごすことができました。内田名誉研究員も野口会長も倫理を学んでると、物事の捉え方ひとつで人生や事象が大きく変わることを教えてくれました。そして、そのベースになるのがやはり万人幸福の栞であり、書いてあるようになるでしょ?とも言われ、なるほどなぁとすごく納得している自分がいました。また改めて倫理を学ぶことを肯定的にとらえられたことでより前に進む勇気をもらえました。

 

佐藤景三幹事、スピーチありがとうございました。
野口会長、内田名誉研究員、昨日の倫理経営講演会と本日のご講話ありがとうございました。

 

 

それでは皆さん、今年1年と本日も彩りのある1日にしてまいりましょう!

本日のモーニングセミナー参加人数:27名

次回のご案内
5月29日(木) 6:30~  山形国際ホテル6階
講師: 山形市中央倫理法人会 会員 東栄コンクリート㈱ 代表取締役 新田裕之氏
テーマ:倫理経営を通してGLOCAL企業を目指す取組み事例の紹介

 

本ブログの講話内容記載で誤り等がある場合は、HPお問い合わせ又は事務局

ycrinri@gmail.comまでお申し出ください。

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