2025.01.10
2025年1月9日モーニングセミナー
第668回 経営者モーニングセミナー
講師:豊烈神社 代表社員宮司 斉藤博輝 氏
テーマ:霞ヶ城と豊烈神社
ブログをご覧の皆さま、こんにちは!
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
本日が今年最初のモーニングセミナーでした。ここ数年、新年1回目は御祈祷モーニングセミナーとして開催しております。今日で4回目の講師となります、宗教法人 豊烈神社 代表役員宮司 齋藤博輝様より御祈祷とご講話いただきました。
参加できなかった会員様、入会を検討している未会員様に講話内容を通し倫理の良さを少しでも伝わればと思い、本日の講話内容振り返りと私の所感を添えた形でお伝えします。
会場の山形国際ホテルさんにより立派な祭壇の設置をしていただき、凛とした空気で当会と全会員企業様、会員様の1年のご健勝・ご繁栄を祈願した御祈祷がスタート。その後、齋藤宮司様の穏やかな語り口調で「1年のはじめ、清々しい気持ちで祝詞奏上を執り行うことができました」との言葉から講話がスタートしました。
本日のテーマは「霞ヶ城と豊烈神社」。霞ヶ城は山形城、今の霞城公園。最上義光が有名であるが幕末の山形城主は?との問いがありましたが答えられず。答えは水野家。水野家はじめは浜松城で初代忠元公が開祖。その後、1821年に浜松城主だった水野家11代目水野忠邦公がその藩祖である水野忠元公を城内に主祭神として祀り、豊烈霊神の称号を与えられた。のちにその11代目忠邦公は御祭神として英烈霊神の称号を与えられた。
忠邦の子、第12代目忠精(ただきよ)公は山形移封に際し山形城二の丸内に豊烈神社を遷座した(神体・仏像の座をほかの場所に移すこと)。だが忠精は浜松での敗戦により浜松に軟禁したため山形には入れず、13代目忠弘公が13歳で当主となり幕末の山形を守った。現在の水野家は16代目忠俊である。
豊烈神社は水野家の神様の神社。「未来は自身で変えられるが、歴史は変えられない」水野家の歴史を語り継がなければ忘れられてしまう。なので私はこれを語り継ぎ後世へつなぐことが私(斎藤宮司)の役目と思う。
今年56歳になろうとしている。この業界ではまだまだ若造の部類。日々勉強をさせてもらっている。いろんな教えがある中で「情けは人の為ならず」に触れます。これは、情けを人にかけてはいけません、というのは誤り。情けを人にかけることで巡り巡って自分に良い報いが来る、自分のためである。情けをかける人=情の厚い人になっていくのである。この習慣がやがて人となりになっていくと思う。やがて情けは人をつくるものではないだろうか。こう考えるとこの言葉の見え方が変わってくる。
豊烈神社の打毬(だきゅう)は1821年から204年の歴史がある。コロナで3年お休みしたが200年は続いている。古典打毬は発祥当初は全国約200社で奉納行事として行われていた。現在は豊烈神社と青森八戸市、宮内庁の3か所でしか行われていない貴重な伝統である。
終
この講話を聞いて。
はじめのご祈祷では、一つ一つ丁寧に所作のお導きを頂き滞りなく完遂いただき身も心も澄んだ気持ちになりました。40名を超える参加者と共に心を合わせられたことは貴重な経験をさせていただきました。
豊烈神社の始まりや水野家の脈々と続いた歴史について、講話いただいたのはほんの一部にしか過ぎない場面でしたが理由や歴史を知れば知るほどもっと知りたいという気持ちと、幕末の山形を守ってくれたことのありがたさを知った大変貴重なお話でした。朝食会では、神社を守ってくれている奥様、お二人の大学生の息子さんが宮司のお手伝いをしてくれるお話など、宮司の日常の顔をのぞけた時間でもありました。
神社の歴史もそうですが、講話中の「この歴史を語り継ぐことが私の役目」という言葉に私は強くインパクトを受け、宮司の仕事に対し真摯に取り組む姿勢を学ぶことができました。
また、図々しくも来年の新年御祈祷モーニングセミナーの予約もしてしまいました!その時には何の講話が聴けるか今から楽しみにしています。
齋藤宮司、本日は御祈祷と貴重なご講話ありがとうございました。
それでは皆さん、今年1年と本日も彩りのある1日にしてまいりましょう!
本日の参加人数:モーニングセミナー朝礼22名 モーニングセミナー41名
次回のご案内
1月16日(木) 6:30~ 山形国際ホテル6階
講師:山形市中央倫理法人会 会員 山形市長 佐藤孝弘 様
テーマ:令和7年の山形市政について
ブログの講話内容記載で誤り等がある場合は、HPお問い合わせ又は事務局
ycrinri@gmail.comまでお申し出ください。